爆風サンバ
今年は風がひどく吹いたり、べた凪だったり、餌の準備ができなかったりとなかなか釣果に恵まれない。
沖防に行ってもやっとかっとでメイタを1〜2枚、なんて調子。
沖防ではメイタだけ
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6月からの入院や腰痛で調子が狂ったことが一番の原因だと考えているが、いつも語っているように心と体のバランスが崩れたからに違いない。考えるところを考えず、行動すべきときにそれをしない。
それが、天気を読み違えてふさわしくない釣り場に行く、普段は準備を怠らないのに餌の調達をしていない、潮を読んで機敏な行動に移るのを面倒くさがるなどに負の結果を生じさせている。
釣れる人は、そんな状況のときでも釣りへの執着を持ち続けている人であり、釣れない人は執着していない人なんである。
(ただし、人生に関しては、釣果で決まるわけではないので、釣りに執着していない人がダメな人ではないことは言うまでもない。
あくまでそれぞれの人が自分の価値観にしたがって向上しようと努力したかどうかという精神的成果がその人の人生の採点基準であり、他人の価値観によって評価されるものではないことを忘れてはならない。
相手をみて羨んだり哀れだと思ったりするのは全くの勘違いで、その相手が挑戦しようとしていることは他の人の価値観や目標としていることからは想像もできない全く別な次元のことなのかもしれないのだから。)
閑話休題
今年は釣りからのいざないに自分の心身と周りの環境が合わないことも有り、あまり考えずに釣行しては沈滞気味の結果になっている。
ま、こんな年もあるだろうよと、あるがままに気楽に過ごすことにしている。釣りができるだけでもシャーワセ、シアワセ。
先週、沖防に行った折、よしダ君とサンバ釣りに行こうと意気投合。
さて、予定のその日、大型台風18号が北上していた。(ここでも、巡り合わせの狂っていることを意識してしまう)
まだ、ずっと南の海上なのに天気予報では風速10m前後。普段なら間違いなく中止にするとことだけど、船長は、
「全然、大丈夫!」
と言っているし、自分も風向きから陸山が風を遮ってくれると思って決行。
ところが、船着き場に着いてみると、船長、
「思ったより、風がつよいねー。釣りにならんもんなー。」
と何度も言う。ヨーするに渡したくないのだろうが。
「渡れるん?」
と聞くと
「渡れるのは全然かまわんよ。けどな、釣りにくい…」
と独り言のように繰り返す。
せっかく来たから渡るだけ渡ろうと、別に苦労もせずに波止に上がると、陸地より吹いてない。やはり、陸山の陰になっている。予想以上に読みが当たってホッとする。時折風向きが変わったときに横からゴーッと突風が吹くがその間隔も空いているので釣りに支障はあまりない。
準備をして、まずウニで底から1m付近。しばらく何もアタらない。3mほど横のよしダ君はなにやら穂先に反応があるようで、
「オッ!」
とか
「オーッ!」
とかうめいている。
ヨシヨシ、こちらはもうしばらく我慢かな。
と、よしダ君、いきなり
「ヨッシャー!」
竿が曲がっている。取り込んだのはキロアップのシマシマ。
こいつはさい先いいゾ。何しろほぼあきらめ加減で波止に上がったのだから。
僕にも時折、単発ながらコッツンという強めのアタリがあるようになり、暫くすると穂先をココンと強い揺さぶり。
クイと押さえて戻り、またクイッ。
穂先を押さえたまま止まり、じっと待ってもそれ以上持ち込まないので少し穂先にテンションをかけ、ゆるめ、しているとキュンと引っ張ったので同時にアワせる。
うまく掛かった。
改造5号竿は難なく魚を浮かせた。縞が消えかかった1.5kg。
期待している型ではないけれど釣果アリは嬉しい。
「ヤッタ!ヤッタ!」
と小躍りで自分を盛り上げる。
それから暫くはアタリがあるが掛かるまでは至らず。
9時頃からは爆風のような横風の間隔が短くなり波止外側は真っ白の波とウネリ。内側の釣っているところだけはウネリが来ていないだけで竿が出せているのがキセキのようなピンポイントにいるのダ。
しかしながらサンバの方が先に避難したのかそれらしいアタリは納竿まで全くなくなった。
1枚でも釣れたのが運がよかったと思うべきだろうが、台風はまだ南大東島あたりなのにこの暴風!
次の日の方が風が弱まっていたのは、なぜダー!と愚痴りたくなるのはまだまだ自分の行いや置かれている境遇に対して整理も理解もしていないと言うことなのだろう。
修行がたらん。死ぬまで惑う親鸞には100回転生しても及ばないだろうが、修行じゃ。
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